深度: -1500m

第5話 歯車と光

 書庫の扉の前に敵はいなかった。

「あの兵士たちの目的がこの書庫の本なのは間違いないはず。おそらく中にいる。」

 イリーナはシルヴィアに小声で呼びかけ、シルヴィアも静かにうなずいた。古びた扉の前で互いに視線を交わし、突入の再確認すると、イリーナはゆっくりと扉に手をかけた。

 その瞬間、古い書庫の扉が轟音とともに内側から吹き飛んだ。激しい衝撃で砕けた破片が一斉に降り注ぐ。イリーナとシルヴィアは反射的に後方へ跳び退き、降りかかるがれきを間一髪でかわした。

「まったく!なんなの!」

 イリーナが叫ぶ。突如として現れたのは、想像を絶する奇怪な存在だった。腕が四本、足が三本──女性の形を模しながらも、機械の冷徹な美しさを漂わせる機械人形が、ゆっくりと、しかし確実にその圧倒的な体躯で迫ってくる。金属の表面に無数の歯車が露出し不可思議な文様を形作り、機械音が耳に突き刺さるようなその動きと相まって、一種の宗教的な荘厳さすら感じられた。

「お嬢様! お気をつけください! あれは機械人形です!」
「まさか……やつら、こんな化け物までけしかけてきたの? 屋敷の防衛システムがあっさり突破されたのも納得ね」

 唐突に、機械人形がイリーナへ向き直り、耳をつんざくような奇声を発した。その瞬間、周囲にまばゆい光の紋章が浮かび上がる。

「――あれは! 神聖紋章(しんせいもんしょう)!」

 シルヴィアが思わず叫ぶ。イリーナも何が起きるか察し、心臓がぎゅっと締めつけられるような恐怖に襲われた。

「まずい……|聖なる力《ホーリー》だわ!」

 機械人形が作り出した紋章は、突然の先制攻撃として、|聖なる力《ホーリー》を帯びた光線を一斉に放射する。まるで天からの裁きのように、眩い閃光が闇夜を裂きながら二人に降り注いだ。イリーナとシルヴィアは即座に回避行動をとるが、横なぐりの雨のように降りそそぐ無数の光線を、ぎりぎりでかわし続けるしかなかった。

 なんとか攻撃をよけきった二人だったが、イリーナは苦し気な表情でその場に膝をついた。左腕の上腕から半分ほど下が引きちぎられたように無くなり、肉片と機械部品が複雑に絡み合った内部がおどろおどろしい体液の間に見え隠れしている。振り返ると、彼女が立っていた場所のすぐそばに、腕の残り半分が転がっていた。

「お嬢様!左腕が。。」

 シルヴィアが少し取り乱した様子でイリーナに近寄った。

「左の腕が…壊れただけよ。落ち着きなさい。まだ敵が目の前にいる!」

 イリーナはシルヴィアを静かに叱咤した。まだ何も終わっていないのだ、あの機械人形をどうにかする手を考えなくては。幸い、機械人形は最初の攻撃の後、少し動きを止めていた。機械人形が放ったのは|聖なる力《ホーリー》の中でも大技の一つだ。あの機械人形の性能では使用後に何十秒かのクールダウンが必要なのだろう。おそらく初手でイリーナたちを仕留めるつもりだったのだ、機械人形にしてもイリーナたちが生き残ったのは誤算だったに違いない。

「左腕は後で修理すればいいわ。止まっているうちに止血だけお願い!」

 シルヴィアはすぐさま、スーツケースから小さな液体が入った瓶を取り出し、イリーナの腕に振りかけた。回復の魔力が込められた回復薬だ。止血程度ならこれでなんとかなる。止血が終わるとイリーナはすぐに立ち上がった。少しふらつきはしたものの、次の戦闘に問題はない様子だった。

「動き出すわ!」

 機械人形が再度歯車の音を響かせながら動き始めた。

 激戦が始まった。機械人形は今度は出力の低い|聖なる力《ホーリー》を駆使してイリーナたちを攻撃しはじめた。出力が低いといえど、当たれば致命傷級の攻撃が何度も繰り返される。イリーナは回避行動を繰り返しながらアルカディアン・リボルバーを機械人形に向けて何度も発射した。炎のエーテル弾、電気のエーテル弾、氷のエーテル弾、いずれも機械人形の装甲にむなしくはじかれてしまう。

「シルヴィア、この機械人形、おそらく反魔力を含めた特殊装甲だわ!攻撃を集中させましょう!」

 イリーナはシルヴィアに合図する。単発の攻撃ではあの特殊装甲に対してあまり効果がない、攻撃を集中させて動作の中核パーツを破壊しなければ。

「同意です!お嬢様!足の関節に攻撃を集中させます!」

 シルヴィアはスーツケースに複数あるスイッチの1つを押下した。スーツケースは瞬く間に分離し、シルヴィアの両手に装備され、それぞれが小型のライフルのような形態へと変化する。と同時に、シルヴィアは機械人形の右側に位置する足の関節に集中攻撃を始めた。機械人形が放つ|聖なる力《ホーリー》の光線と爆風を華麗によけながら、ライフルの銃撃音が鳴り響く。イリーナもまた、シルヴィアが機械人形を引き付けてる間にアルカディアン・リボルバーのシリンダーへ魔導炸裂弾(まどうさくれつだん)を込める。

「うぁ!」

 うめき声と共に、シルヴィアが吹き飛ばされる。|聖なる力《ホーリー》の光線をよけた先で機械人形の腕で薙ぎ払われたのだ。シルヴィアは壁に打ち付けられ力なくその場に倒れこむ。ここぞとばかりに機械人形が三本あるうちの1本の足をシルヴィアに向けて振り上げ踏みつぶす体制をとった。

「あんたの相手は私よ!!」

 イリーナは叫び、シルヴィアが攻撃していた右側の足の関節へとアルカディアン・リボルバーの銃口を向け魔導炸裂弾(まどうさくれつだん)を打ち込んだ。機械人形の足関節の金属に鈍くめり込む音が響く。しかし、機械人形はなおも動きを止めずイリーナに体を向けた。だが、足の関節が微妙に違和感のある動きをしている。シルヴィアとイリーナの度重なる攻撃で一部の部品が破損したようだ。

 もう一押し。イリーナは心で確信しながら、再度アルカディアン・リボルバーを機械人形へと向ける。機械人形が激しく突進してくるのを軽くかわしながら壊れかけた右足の関節に魔導炸裂弾(まどうさくれつだん)を再度打ち込んだ。

「ギギギー」

 機械人形が咆哮めいた耳障りな金属音を上げた。右足が甲高く軋むと同時に体重を支えきれず崩れ落ち、石床へ鈍い音とともに膝をつく。胴体は大きく傾き、まるで苦痛を訴えるかのように軋み音をあげていた。

「今!」

 イリーナは素早く身をかがめ融合撹乱刀(アマルガム・ディスラプター)を抜刀した。左腕が使えない今、融合撹乱刀(アマルガム・ディスラプター)といえども威力は半減している。だが、機械人形の今の状態なら致命傷を与えられる可能性が高いはずだった。イリーナは機械人形の元へと全力で走る。その走りの勢いのままに機械人形のコア部分を切り伏せるのだ。すなわちあの女性型の胴体部分、あそこを真っ二つにすれば、あの機械人形は止まるはずだ。

 機械人形はイリーナの動きを察知すると、すぐさま迎撃態勢を整えようとした。足を動かしてみたものの、どうやら故障して役に立たないとわかると、即座に|聖なる力《ホーリー》を用いた攻撃へと切り替える。たちまち複数の光の紋章が空間に浮かび上がった――イリーナの左腕を奪った、あの技だ。

 すでに戦闘で疲弊しきったイリーナが、あの光の雨をすべてかわし切るのは難しい。さらに、機械人形のそばに倒れ込むシルヴィアには、ほぼ確実に攻撃が命中し、命を奪ってしまうだろう。

 このままやるしかない イリーナはさらに走る速度を上げた。機械人形の|聖なる力《ホーリー》が先か、イリーナの融合撹乱刀(アマルガム・ディスラプター)が先か。今はそれだけだった。

 イリーナは歯を食いしばりながら、さらに地を蹴った。すでに光の紋章が明滅し始め、いつ炸裂してもおかしくはない。攻撃を浴びれば、シルヴィアはもちろん自分さえも一瞬で焼き尽くされるだろう。それでも、彼女は足を止めるわけにはいかなかった。

 その一瞬――眩い光が爆ぜかけるのと、融合撹乱刀(アマルガム・ディスラプター)の切っ先が胴体を捉えるのはほぼ同時だった。

「──ッ!」

 イリーナは機械人形の胸部に狙いを定め、渾身の力で刀を振り下ろす。鋭い金属音が響き、刀身が抵抗を貫くように機械人形のボディへ深く潜り込んだ。周囲に現れていた複数の光の紋章が一瞬揺らぐ。

 しかし、機械人形の“|聖なる力《ホーリー》”も完璧に不発させるには至らず、イリーナの刀が命中したその瞬間、暴発するように亀裂の走った光が散弾のように四方へ飛び散った。凶暴な光がイリーナの身体をかすめ、さらに地面や周囲の廃材を貫いていく。

「あぁっ…!」

 熱く鋭い痛みがイリーナの肩口を抉る。だが、彼女はそのままの体勢を崩さず、刀をこじ入れるようにして機械人形の胴体を切り裂いた。

 機械人形は女の姿を形作る胴体部分を中心に火花と奇妙なノイズを立てる。胴体の一部がかろうじて割れ、今にも内部構造が露わになりそうな深手だ。これまで圧倒的な力を見せつけていたその姿が、わずかに崩れ始める。

「これで…終わり、なの…?」

 イリーナが浅く息をつく。しかし次の瞬間、機械人形はギギギ…と軋むような声を立てると、腕を振りほどいてイリーナを突き飛ばした。機械人形の瞳には、依然として聖なる光の残滓が宿っている。あくまでその場での“戦闘継続”を断念しただけで、まるで“今は逃げる”と判断したかのようだった。

 機械人形は割れた胴体から火花と黒煙を噴き出しながら、背後の書庫へと下がっていく。するとどこからか赤い装束の兵士たちが現れ機械人形を特定の方向へ誘導し始めていた。イリーナの方へは全く気にも留めていない様子、いや機械人形を破壊され慌てているのか。

「あれは…逃げる気ね──!」

 イリーナは両足を踏ん張り直して再び刀を構えようとするが、先ほどの光弾による痛みが全身を駆け巡る。また、左腕の出血がひどく思うように力が入らなくなっていた。

 そうしているうちに、機械人形と赤い装束の兵士たちの姿が消え、鈍い轟音と共に太い機械の駆動音が聞こえた。おそらく書庫の壁を破壊し、小型艇に乗り込める大きさの穴を無理やり開けたのだ。

「くそ…」

 イリーナは必死に体を動かそうとするが苦痛と疲労で思うように体が動かない。また、何とか敵を退けたという安堵もイリーナの体をさらに動けなくしていた。小型艇のエンジン音が遠のいていくのが聞こえた。それと同時にイリーナの意識も静かに深く遠のいていく、いくばくかの間もないままイリーナの意識は虚ろへと落ちていった。