第4話 ファースト・コンフリクト
装備を整えた二人は素早くイリーナの部屋から飛び出し、例の古い書庫へと足を向けた。いつの間にかストーム級戦艦の砲撃は止んでいたが、それがかえって不気味な静寂をもたらしている。制御回路の混乱によって戦艦の機関が停止しただけなら、そろそろ再起動していてもおかしくはない。だが、書庫への侵入と融合反応炉(アマルガム・リアクター)の破壊は既に成功しており、バトラーや侍女たちも逃げ出した後だと考えれば、大規模な攻撃を再開する理由はないのかもしれない。
「敵の攻撃が止んでいるわ。もし書庫の本を奪おうとしているのなら、もうとっくに運び出しているか、あるいは今まさに運び出している途中かも。――急ぎましょう!」
イリーナの言葉にシルヴィアもこくりと頷くと、二人は書庫へ至る入り組んだ経路を駆け足で進み始めた。中央庭園には敵がいることが確実だったため、少々迂回する道を通りながら進む。屋敷の各所からは、崩れ落ちる梁の音や、焼け焦げる木材の悲鳴が断続的に響いてくるものの、それ以外の音がまるで呑まれたかのように消え失せているのが、逆に神経を尖らせた。どうやら侵入してきた敵の数は多くないようだが、それこそが最も恐ろしいことではないかとイリーナは感じていた――少数の精鋭か、もっと強力な何かが書庫を抉じ開けているかもしれないからだ。
「お嬢様、お待ちを。」
シルヴィアが静かにつぶやき、イリーナの進行方向を左腕で優しく遮った。
「敵です。」
前方の廊下の奥側に赤い装束がうっすらと見えた。敵はまだこちらに気づいていないらしい。しかし、ここから先は迂回路が無いことはイリーナもシルヴィアも分かっていた。
「シルヴィア、覚悟はいいわね。」
イリーナはシルヴィアに確認する。ただの覚悟ではない、場合により、いやおそらく確実に人を殺める覚悟。相手に明確に殺意があるとしても、初めて人を殺すという行為に自らも含め覚悟があるのかという問いであった。
「お嬢様、私はお嬢様の専属侍女になった時からお嬢様のために尽くすと決めております。お嬢様を守るためなら、人も殺める覚悟もできております。」
シルヴィアが決意のこもった声でつぶやく。イリーナは少し胸を熱くしながらも、自らも決意を固めた。
「ありがとう、シルヴィア。行くわよ!」
イリーナの掛け声とともに二人は走り出した。まるで疾風のように、その速度からすると驚くほど静かに二人は前方の赤い装束の兵士達へと近づいていく。イリーナとシルヴィアは廊下の暗がりを這うように駆け抜ける。立ち止まれば躊躇が生まれそうだった。二人が全力で走り出してから数秒、兵士たちはようやく気配に気づいた。赤い装束の兵士のうち数人が振り返り、何事か叫ぶ声とともに武器を構える。その隙を逃さず、イリーナとシルヴィアはほぼ同時に左右へと分かれた。
兵士たちの前方を駆け抜けるイリーナ。曲がり角に背をあずけ、素早く腰の融合撹乱刀(アマルガム・ディスラプター)を抜刀すると、そのまま反動で姿勢を低く落とす。兵士の一人が迫るのを視界の端で確認し、すぐさま足を踏み込んだ。
「はっ!」
一撃目は胴体を斜めに切り裂こうとする鋭い斬撃。敵兵は手にした自動小銃で受け止めようとしたが、イリーナの融合撹乱刀(アマルガム・ディスラプター)の太刀筋を通常の金属で止めることは叶わなかった。融合撹乱刀(アマルガム・ディスラプター)のキュイーンという甲高い起動音とほぼ同時に金属が切り離される耳障りな音が響き銃剣が真っ二つに割れる。そのままイリーナは深く身をひねり、敵兵の脇腹を薙ぎ払った。血糊の感触と同時に息を呑むような呻き声が上がる。
続けて別の兵士が追撃してくる。今度は斧を振りかぶった大柄な兵士だ。急な襲撃に慌てて屋敷の装飾の斧を手に取ったらしい。イリーナは正面で受け止めるにはやや分が悪いと一瞬で判断するや踵を返した。相手に対して背を向けたまま廊下の柱際へ飛び、そこで体ごと半回転して斧の軌道から逃れる。そして、イリーナは再度距離を詰め、融合撹乱刀(アマルガム・ディスラプター)の刃を兵士の首元に当て振りかぶった。激しい血しぶきが飛ぶ中、兵士の体が力なく地面に横たわる。動かなくなった兵士を尻目に、素早く次の相手へと意識を巡らせた。
同じ頃、廊下の反対側ではシルヴィアが軽やかな身のこなしで数人の兵士を相手取っていた。専用のスーツケースを片手に、相手の攻撃をいなし、あるいは紙一重で避けながらスーツケースを鈍器のように扱いながら的確に敵をなぎ倒していく。その動きには侍女としての柔らかさを微塵も感じさせない殺気が宿っていた。
一通り敵の気配が消えた後、イリーナは自らの手に握った融合撹乱刀(アマルガム・ディスラプター)を一度素振りするように回し、付着した血と埃を払い落とす。彼女は荒い息を整えながら、シルヴィアのほうへ視線を向ける。
「シルヴィア、まだ大丈夫?」
「ええ、お嬢様。しかし、まだ一休みするには早いようです」
イリーナはシルヴィアが指さす方向に目を向けた。廊下の先からは、火の手と瓦礫をものともせずに接近する赤い装束の兵士らの気配が濃厚に伝わってくる。足音と金属が触れ合うかすかな音、そして銃器の機関部が動く不気味な鳴り響き。どうやら相手は銃や携行型ロケット砲を備え、なおかつ白兵戦用に短剣のようなものを腰に差している。イリーナたちが襲撃した際に誰か通信を入れたのだろう、既にこちらの存在には気付いている様子だった。
「援護、頼むわ!」
イリーナは廊下の後方から迫る気配を断ち切るべく、燃え盛る火炎と崩落しかけの壁を飛び越えるように駆け出した。その足音を追うように、赤い装束の兵士が自動小銃の銃口を向ける。引き金が引かれ、廊下に激しい銃声が鳴り響く。
「くっ……!」
火花を散らしながら、イリーナは融合撹乱刀(アマルガム・ディスラプター)を振るい、飛来する銃弾を弾き飛ばした。
一見すれば荒唐無稽な離れ業だが、この刀の強度と特殊な撹乱力に加え、イリーナ自身も徹底的な肉体改造や魔術的強化によって常人を超えた反射神経と身体能力を得ている。そうした力を持つ彼女が刀を振るえば、銃弾の軌道をわずかにずらし、はじく程度なら十分にこなせるのだった。完全に弾丸を断ち切る瞬間もあるのか、閃光のような軌跡が視界の端で踊る。だが無数の弾丸すべてを受け流すのはさすがに難しかった。イリーナは壁際へ大きくステップし、柱や瓦礫の陰を利用して被弾を避けながら前進を続ける。
「お嬢様、援護射撃を開始します!」
シルヴィアの澄んだ声が廊下に響きわたるやいなや、凄まじい銃声と魔力のうねりが同時に炸裂した。スーツケース側面から回転式連射砲の砲身が飛び出しゆっくりと回転を始める。やがて、回転する銃身から放たれたおびただしい数のエーテル弾の連射が、廊下を埋めるように赤い閃光と轟音を作り出す。重厚な衝撃音が何度も続き、敵兵の陣形を無理やり崩しにかかる。近代的な防弾装備も、エーテルを帯びた高火力弾には耐えきれないのか、火花を散らしながらあっさりと貫かれていく。
「ぐあっ……!?」
前面に出ていた敵兵の集団が、血煙を吹きながら床に崩れ落ちた。味方が一瞬にして倒される光景を目の当たりにした他の兵士たちは、とっさに身を低くして応戦しようとする。が、イリーナが懐に潜り込むのが先だった。
兵士たちがイリーナに銃を向けようとしたのもつかの間、イリーナが大きく融合撹乱刀(アマルガム・ディスラプター)を横椥に振り切った。兵士たちの胴体と下半身が地面に転がり落ちる。その刹那、携行型ロケット砲を構えた兵士が廊下の隙間から姿を出すのを、シルヴィアが視認した。
「砲弾が来ます! 退避を――」
警告が響くと同時に、一発のロケット弾がイリーナのいる方向へ撃ち込まれる。凄まじい噴射音とともに弾頭が一直線に飛来するが、イリーナは背中のアルカディアン・リボルバーを引き抜きロケット弾に向けて発射した。白く鋭い氷のような銃弾が飛び出し、ロケット弾へと被弾する。瞬く間にロケット弾は氷の塊となって地面に落ちた。イリーナはすぐさま廊下の隙間へ走ったがすでにロケット弾を撃った兵士は逃げ出した後だった。
「逃げられたようね。」
イリーナとシルヴィアは数分間だけ息を整えるとすぐに書庫へと歩を進めた。
あの赤い装束の兵士達、どこの組織の者か少し探ろうとしてみたものの、決定的な手掛かりは見つからないままだった。イリーナの体があらゆる手段で強化されてるとは言え、比較的あっさりと制圧された事実を鑑みるに、あの兵士たちは精鋭というには少し心もとなかった。どこかの国の正規軍というわけではなさそうだ。
「お嬢様、彼らの力で屋敷の防衛システムがあれほど簡単に突破されるとは思えません。まだ、何かあるかも。お気を付けください。」
「そうね、私もそう思うわ。もうすぐ書庫よ。気を引き締めましょう!」
イリーナとシルヴィアは、その後も単発的に現れる敵を軽くいなしていったが、全く安堵はできなかった。戦艦を引っ張り出してきてまで攻撃してきた相手だ、そう簡単に終わるはずはないとお互いに直感していたのだ。
やがて、薄明かりの中で迎えた一刻――あの古い書庫が、重々しく古い存在感を漂わせながら姿を現した。