深度: -1500m

第3話 出陣への備え

「シルヴィア!まずは私の部屋へ!書庫へ乗り込むにしても、まずは武器が必要よ!」

 シルヴィアは静かに頷き、互いに背中を預け合うように屋敷内の廊下を駆け抜けた。外での喧騒や激しい戦闘の影はまだ彼女たちに迫っていない。それだけ、イリーナの部屋は書庫から一歩隔たった安全圏にあったからだ。

 部屋の前に立つと、イリーナは安堵の息をもらした。ドアは控えめだが、それとなく施錠されていた。部屋を飛び出した後、屋敷のセキュリティシステムによりオートロックがかかったのだ。少し警戒しながらもゆっくりとドアを開け中を覗く。そこには乱雑に置かれたベッドのシーツや転がる枕が、イリーナが飛び起きた一瞬の動乱の余韻を残していた。

 イリーナは、少し安堵の笑みを浮かべながら、部屋の奥へと足を踏み入れた。部屋の静寂を背に、彼女は目指す先――目立たない木製の柱に歩み寄る。光沢のある指先が、慎重にその柱の中腹部分に触れると、かすかな電子音が響いた。「ピー」という短い認証音と共に、柱の側面の一部が滑らかに後ろへ引っ込んでいく。隠し扉が開き、そこからは狭い通路が現れ、薄明かりの中にひっそりと佇む隠し部屋への入口が姿を現した。

「荒らされてはいないようね」

 イリーナの低い声に、シルヴィアは重ねた安心のため息を返す。二人は互いに身を寄せながら、その薄暗い隠し部屋へと足を踏み入れた。部屋の内部は、古びた木造の内装と、ところどころ現代的な金属のアクセントが融合した、どこか歴史を感じさせる趣深い造りになっていた。空気は、ほのかに漂う古びた革の匂いと、時折電子機器の微かな冷気で満たされ、外の喧騒が嘘のように静謐な時間が流れている。

 カウンターの上には、いくつもの武器が一列に美しく並べられていた。それは、まるでアートのように、無造作でありながらも、その存在感が一目で認められる品々ばかりだった。イリーナは、手際よくそのカウンターに向かい、腕を伸ばす。彼女の指先が、まるで長年磨かれてきた名人の技のように、一本一本の武器に触れ、軽やかに手の感触や重みを確かめる。

「シルヴィア!あなたにはこれを」

 そう言いながらイリーナはシルヴィアにスーツケースを手渡した。シルヴィア専用に整えられたスーツケース型の汎用武器だった。シルヴィアはイリーナから手渡されたスーツケースを丁寧にしかし素早く確認する。革張りの装甲と、鋭角的な金属パーツが絶妙に調和し、手に持った瞬間から、その均整のとれたフォルムが、まるで戦いの詩を奏でるかのように静かに語りかけた。シルヴィアは、スーツケースを軽く回しながら、その質感を確かめる。流れるような手さばきで、彼女はその武器の機能性と洗練されたデザインの両面を、まるで自分自身の一部であるかのように感じ取っていた。

「私はこちらかしら?」

 次に、イリーナは融合撹乱刀(アマルガム・ディスラプター)に手を伸ばした。刀身は深い光沢を放ちながら、暗い部屋の中でひときわ際立っていた。先々代のヴァシネス家当主であるイリーナの祖父が特別に輸入した貴重な代物。長い歴史と伝統が吹き込まれたその一振りは、重みと威厳を持ちながらも、手にしたとたんに身体が自然とそのリズムに同調するような錯覚を覚えさせた。イリーナは、刀の刃先をわずかに回し、その鋭いエッジに指先から感じる冷たさと、匠の技の重みを、静かに噛み締めた。刃はただの金属ではなく、遥か南東を彷徨うと言われるイリス大移民艦隊が開発した融合撹乱技術によって生み出された特別なものだ。刀身は融合石とヂュラタニウムの合金で鍛えられ、その輝きはまるで古代の秘宝の如く神秘的で、同時に科学的な威厳をも放っているようだった。柄部分には、融合撹乱を制御する精密な制御装置が埋め込まれており、持つ者の意志を反映し適切なタイミングで融合撹乱を起動する仕組みになっていた。

 そして、最後に目を引いたのは、エーテル・カートリッジ式のリボルビングライフルだった。アルカディアン・リボルバーと名付けられたそれは、金属とエーテルの融合が異質ながらも不可思議なまでに調和を保っており、機械仕掛けの複雑な構造と、内蔵されたエーテル・タンクから放たれる光の粒子が、ひらひらと空中を舞うかのような美しさを醸し出していた。イリーナは、ゆっくりとそのライフルを引き寄せ、慎重に手に取ると、軽く引き抜くようにしてカートリッジを確認する。まるで、一流の射手が銃の扱いに熟達しているかのような、その動作には、無駄な動きは一つも無かった。手に触れた瞬間、冷たく滑らかな金属の感触と、そこに秘められた魔法の温かいエネルギーが、彼女の指先に直接語りかけるようだった。

 その全ての武器が、一つひとつ、イリーナの手の中で生きた鼓動を感じさせ、静かな緊張感とともに、己の戦いへと向かう覚悟を新たにさせた。彼女は、模造品を使った日々の修練と実際の武器との差分を埋めるように素早くしかし丁寧に武器の確認を行っていった。

 そして、武器の物色を終えたイリーナの視線は、武器庫の奥のハンガーへと移る。そこには、寝巻き同然の姿で飛び出してきた彼女が今まさに必要とする、“実戦でも動きやすい服”が掛けられていた。
 黒を基調としたジャケットは、肩や肘の部分に頑丈な革製のパッドが縫い付けられ、裏地には微かに光を帯びるエーテル繊維が織り込まれているらしい。軽量ながら衝撃を吸収する工夫が施されており、動くたびにほんのりとした暖かさが肌を包む。袖口には細かな金属のリベットが打たれ、少し荒々しさも感じさせるデザインだ。

 一方、脚を守るパンツは、厚手の生地の表面に魔法的な処理がされているのか、水や汚れを弾くような質感がある。腰回りと膝には簡易的なプロテクションが取り付けられ、ガッと足を踏み込んだり素早く屈んだりしても生地が突っ張らない仕立てになっている。加えて、足元に合わせるのはやや長めの革製ブーツ。締めつけが少なく可動域を妨げないよう工夫されたそのつくりは、戦場の泥や瓦礫の中でも足を守ってくれそうだ。

 イリーナは埃を軽く払い落とすと、素早い動きで袖を通し、ベルトを締め、ジャケットを整えていく。寝巻きから一転、身体にフィットするこの装備を身にまとった瞬間、先ほどまでの緩んだ空気が一気に引き締まった。

「お嬢様、よくお似合いですよ」

いつの間にか近くに来ていたシルヴィアが、ほほ笑みながら小さく拍手をするように両手を打ち合わせる。

「そう? じゃあ、ありがたく褒め言葉をもらっておくわ」

イリーナは肩をすくめながらも、わずかに照れが混ざった笑みを浮かべた。最後にイリーナはこなれた手際で融合撹乱刀(アマルガム・ディスラプター)を腰にしっかりと身に着け、アルカディアン・リボルバーを背中に背負う。シルヴィアもまた彼女専用のスーツケースを手際よく、しかし丁寧に整備し、その他、必要な消耗品を一通りそろえていた。

「これで、書庫へ向かう準備は整ったわね」

 低く、しかし確固たる声で、イリーナは宣言した。手にした武器の重みが、その場の空気を震わせ、シルヴィアもまた、彼女の背中を力強く支えるように頷いた。