深度: -1500m

第12話 羅生門の記憶

夜の帳が完全に降り、空には星々が無数に瞬いていた。その星々の光は、かつての無数の世界を象徴するかのように、イリーナの心に強く映り込んでいった。ミルゼット500は、いまや地表から5000メートル以上の高度を維持したまま、滑るように羅生門へと向かっていた。

「前方に羅生門が見えてきました、お嬢様」
シルヴィアが操縦席から声をかけた。彼女の声には、長い飛行の果てに目的地に辿り着いた安堵感が滲んでいる。

イリーナは窓に顔を寄せた。闇の中にぽつりと浮かぶ光の点が、しだいに形を成してきていた。機窓から見える羅生門は、まるで宙に浮かぶ巨大な門のように、周囲の暗闇から浮かび上がっていた。その姿は神秘的で、古の歴史を感じさせるものだった。

「ついに来たわね…羅生門」
イリーナの声には期待と緊張が混じっていた。これまでの旅で知ったセヴェラの神話、そして自分自身の夢の謎。それらが羅生門で繋がるのではないかという予感に、胸が高鳴っていた。

「まだまだ遠くに見えるとはいえ、あれがその姿か」
ルカも興味深そうに身を乗り出し、羅生門を眺めている。彼の瞳には、まるで古い友人を久しぶりに見るような懐かしさが宿っていた。

「そうだっけね。貴方も羅生門はじめてなのでは?」
イリーナが不思議そうにルカを見つめた。

「ああ、そうでしたな」ルカは少し言葉を濁した。「私はただ、古い記録からその姿を知っているだけです。実際に目にするのははじめてですが、どこか懐かしく感じるものですね」

シルヴィアはミルゼット500のスピードを緩め、着陸のための準備を始めた。「羅生門周辺は、神秘体感によるセンサー誤作動が多いと聞きます。慎重に降下しますので、しっかりと安全ベルトを締めてください」

「ふむ、強い霊素反応があるようですな」
ルカが言った。「融合初期の痕跡が濃厚に残る場所は、常に霊素の波動が高いものです」

「霊素…夢の中に現れる白い女性と関係があるのかしら」
イリーナはぼんやりと呟いた。

ミルゼット500は慎重に高度を下げていき、やがて羅生門の着陸場へと近づいていった。着陸場は門の基部に位置しており、少数の灯りが点在するのみだった。

着陸手続きを終え、イリーナたち三人は機体から降り立った。足元に広がる大地は、これまでの旅で訪れたどの場所とも違う質感を持っていた。まるで異なる種類の土壌が混ざり合い、不思議な調和を生み出しているかのようだった。

「羅生門へようこそ」
場内のスピーカーから、機械的な女性の声が流れてきた。「現在、記録保全拠点への訪問は制限されております。お越しの目的をお知らせください」

「私はヴァシネス侯爵家当主、イリーナ・ヴァシネスです。記録保全拠点の資料を調査するために来ました」
イリーナは堂々と名乗り、凛とした態度で続けた。「アクセス権限はすでに事前に申請済みです」

通信が一瞬途切れ、短い沈黙の後、再び声が返ってきた。
「ヴァシネス侯爵家当主様、ご訪問を歓迎いたします。係員がご案内にまいりますので、しばらくお待ちください」

イリーナは満足げに頷き、シルヴィアとルカを見た。
「さすがヴァシネス家の名前ね。どうやら問題なさそうよ」

「お嬢様の先見の明に感謝します」シルヴィアは安堵の表情を浮かべた。「事前申請をしておいてよかったです」

「フェイロゼア公国の古い貴族の名前は、今でも効力があるようですね」
ルカは感心したように頷いた。「ただ、どうも様子がおかしいと思いませんか? 人の気配がほとんど感じられませんが」

確かに、着陸場には数人の整備士が見えるだけで、通常あるべき警備員や受付の職員の姿はなかった。

しばらくすると、一人の小柄な女性が彼らの方へ歩いてきた。彼女は羅生門のスタッフらしい制服を着ていたが、その表情には緊張感が漂っていた。

「ヴァシネス侯爵家当主様、ようこそいらっしゃいました。私がご案内いたします」
彼女はそう言いながら、周囲を警戒するように視線を走らせていた。

「何か問題でもあるのでしょうか?」イリーナが尋ねた。

女性は声を潜めて答えた。「実は三日前から、記録保全拠点のシステムに異常が発生しております。一部のデータにアクセスできなくなり、さらに昨日からは通信システムも不安定になっています」

「それは…」イリーナは眉をひそめた。

「詳しくはこの場ではお話しできません。安全な場所まで移動いたしましょう」

彼女の案内で、三人は着陸場から離れ、羅生門の内部へと足を踏み入れた。内部は予想以上に広く、天井は見上げても見えないほどの高さがあった。壁面には古代の文字や図像が彫り込まれており、それらは羅生門の歴史を物語っているようだった。

「ここは表向きは記録保全拠点として知られていますが、実際には融合初期の重要な遺跡でもあるのです」
案内役の女性が説明した。「羅生門という名前も後世につけられたもので、本来は『次元の結節点』という意味の古い名を持っていました」

「融合初期…セヴェラの時代からあるということ?」
イリーナが驚いて尋ねた。

女性は立ち止まり、イリーナを見つめた。「セヴェラの名を知っているのですか?」

「ええ、古い神話で知りました。1000の地を1つにした神として」

女性は周囲を見回してから、さらに声を潜めた。「この場所は、セヴェラが世界を融合させた際の中心点だと言われています。そして、記録保全拠点の奥深くには、セヴェラの遺した何かがあるという伝説があるのです」

イリーナの目が輝いた。「それが…私の調べたいことなのよ」

彼らは広い回廊を通り、さらに奥へと進んでいった。途中、いくつかのセキュリティゲートを通過する際、女性は特別なカードキーを使用した。やがて、彼らは記録保全拠点の中心部へと到達した。

そこは巨大な円形ホールで、壁一面に古い記録が保管されているようだった。天井からは柔らかな光が降り注ぎ、床には複雑な模様が刻まれていた。その模様は、まるで星々が渦を巻いているかのようだった。

「ここが記録保全拠点の中核、『星の間』です」
女性が誇らしげに説明した。「ここには、融合大陸の歴史に関するもっとも古い記録が保管されています」

イリーナは息をのんだ。星の間は、彼女の見続けてきた夢と奇妙に共鳴するものがあった。床の模様は、まるで夢の中の小川のような形をしており、天井からの光は、水中に差し込む光のようだった。

「もしかして…ここは…」
イリーナの言葉を遮るように、突然警報が鳴り響いた。

「警告。不正アクセスを検知。全職員は安全区域への避難を開始してください」
機械的な声がホール中に響き渡った。

案内役の女性の表情が一変した。「やはり来ましたか…彼らが」

「彼らって?」シルヴィアが身構えながら尋ねた。

「『再誕の灯』と呼ばれる赤い装束の集団です。彼らは三日前から記録保全拠点のシステムを攻撃し続けています」

「再誕の灯…」イリーナはその名前を聞いたことがあるような気がした。

「彼らは融合前の世界を礼賛する宗教的な集団です」女性は緊張した表情で説明した。「融合大陸の分離を望み、原初の世界に戻ることが神の意志だと信じているのです。日常では慈善活動も行っているため、広く支持を集めているのですが…」

「聖なる分離を望む者たちか」ルカが呟いた。

女性はルカにちらりと視線を送った。「彼らの教義には独自の真実もありますが、その方法は過激化しています。とくにセヴェラに関する記録を探し求め、破壊しようとしているのです」

「再誕の灯についてもう少し教えてください」イリーナは女性に促した。

女性は少し迷ったように顔を曇らせたが、やがて説明を始めた。「再誕の灯は約200年前、エルドリア・ラニエというセヴェラの夢を見続けた女性によって創設されました。彼女は夢の中でセヴェラから『世界の融合は失敗だった』という啓示を受けたと主張したのです」

「セヴェラの啓示?」イリーナは驚いた。「それは本当なのでしょうか?」

「真偽は定かではありません。しかし彼らは、融合前の各世界には固有の文化や進化の可能性があり、それが融合によって均質化されてしまったと信じています。赤い衣装は『世界の血』を象徴し、各地で奉仕活動を行いながら信者を増やしてきました」

シルヴィアが眉をひそめた。「そんな穏健な集団が、なぜ突然このような暴力的な行動に?」

「最近、彼らの新しい指導者、ヨルダン・クライスが台頭してきました。彼は古い聖遺物を使って、融合前の世界の記憶を部分的に見ることができると言われています。その経験から、彼は分離こそが世界の救済だと確信し、より急進的な行動に出るようになりました」

女性は声を落とした。「融合を進めたセヴェラの遺物を破壊し、原初の世界への回帰を実現するため、シュヴァルツ・ノワールを探しているのです」

「羅生門は外部から侵入されたことがあるのですか?」ルカが冷静に尋ねた。

「いいえ、これがはじめてです。しかし今回は…」女性は言葉を詰まらせた。「彼らは何か特別なものを使っているようです。古い力を持つ聖遺物のようなものを手に入れたという噂があります。それを使って通常のセキュリティを突破したようです」

そのとき、イリーナの胸ポケットに入れていた銀色の刺繍の本が、微かに発光し始めた。

「あっ…」イリーナはその本を取り出した。本の表紙にあるセヴェラの紋章が、星の間の床の模様と呼応するように輝いていた。

「その本は!」案内役の女性が驚きの声を上げた。「それはセヴェラの紋章…いったいどこでそれを?」

「私の家の書庫で見つけたのよ。でも、意味はわからなくて…」

「イリーナ様!」シルヴィアの声が緊迫していた。「彼らが来ます」

星の間の入口で、騒がしい足音が聞こえ始めていた。赤い装束の者たちが、この場所に向かってきているのだ。

「彼らの目的は、その本かもしれません」
女性は急いでイリーナに近づいた。「その本に反応して、彼らは動いているのでしょう。星の間には隠し通路があります。そこからセヴェラの間へ行けるはずです。限られた情報だけでも得られれば…」

「限られた情報?」イリーナは疑問を抱いた。

「セヴェラの間は、真の姿を一度に見せることはありません。訪れる者の資格に応じて、少しずつ真実を明かすのです。今回の短い訪問では、全貌を知ることはできないでしょう」

「セヴェラの間?」

「伝説によれば、セヴェラが最後の力を使って創造した聖遺物が眠る場所です」
女性はイリーナの手を取り、床の中央へと導いた。「あなたの持つその本は、セヴェラの間への鍵かもしれません」

イリーナは決意の表情で頷いた。「シルヴィア、ルカ。私たちはこの先に進まないと」

「お嬢様の後ろに」シルヴィアは武器を構え、イリーナを守る態勢を取った。

「おもしろくなってきましたな」ルカは尻尾を揺らし、のんびりとした口調で言ったが、その瞳には鋭い光が宿っていた。

案内役の女性が床の中央にある特殊な模様の上に銀の本を置くよう指示すると、イリーナはそれに従った。本が模様に触れた瞬間、床全体が明るく輝き始め、中央部分がゆっくりと下降し始めた。それは隠された昇降機だった。

「急いで!」女性は三人を昇降機の上に促した。「私はここで彼らを引き付けます」

「あなたも一緒に来るべきよ!」イリーナは心配そうに言った。

女性は首を振った。「私の役目はここまでです。セヴェラの間で、あなたが真実を見つけることを願っています」

昇降機が下降し始める中、イリーナは最後まで手を伸ばしたが、もはや女性には届かなかった。やがて天井が閉じ、三人は完全に別の空間へと降りていった。

「あの人、大丈夫かしら…」イリーナは上を見上げながら呟いた。

「勇敢な方でしたが、何か使命を感じているようでした」シルヴィアが答えた。

「彼女は『導き手』だったのでしょうな」ルカが静かに言った。「古の伝説には、聖遺物の守り手である導き手が登場します。彼らは聖遺物が必要とする者を見極め、正しい道へと導くのです」

「導き手…」イリーナは思い出した。「女性は最後に何か言おうとしていました。セントラルボルト…という言葉を口にしかけていたような」

「セントラルボルト?」シルヴィアが首をかしげた。「はじめて聞く名前です」

「いいえ、シルヴィア。思い出して。私たちの旅の最初から目指していた場所よ」イリーナは穏やかに言った。「古い書庫で見つけた本の解読のために向かおうとしていた中央記録保全拠点。あの本に記されていた言葉を解読するには、セントラルボルトに行く必要があると」

「そうでした!」シルヴィアは目を見開いた。「羅生門を越えた先にあるセントラルボルトが私たちの本来の目的地だったのですね」

「私も聞いたことがあります」ルカが慎重に言った。「それは融合大陸の中心にあるとされる、もう1つの記録保全拠点。羅生門よりもさらに古く、さらに重要な情報が眠っていると言われています。しかし、その場所への道筋は失われたと…」

昇降機はやがて別の空間に到達した。そこは星の間よりもさらに広大で、中央には巨大な水晶のような構造物が鎮座していた。水晶は内側から柔らかな光を放ち、その周囲には見知らぬ文字が刻まれた柱が円を描くように立ち並んでいた。

「これが…セヴェラの間…」
イリーナの声は震えていた。この場所こそ、彼女の夢に繋がる何かがあるという直感が湧き上がってきた。

ルカは静かに周囲を見回した。「驚くべき場所です。この水晶は…まるで時間そのものが閉じ込められているかのようですね」

イリーナは水晶に近づいた。その表面には、微かな波紋のようなものが見えた。まるで水面のようだ。その波紋に触れようと手を伸ばすと、水晶の表面が液体のように変化し、イリーナの手を受け入れ始めた。

「お嬢様!」シルヴィアが慌てて叫んだが、イリーナはすでに半身を水晶に沈めかけていた。

「大丈夫…これは…私が見ていた夢の…」
イリーナの言葉は途切れ、やがて彼女の全身が水晶に吸い込まれるように消えていった。

「イリーナ様!」シルヴィアは水晶に駆け寄ったが、もはやその表面は固く、触れることすらできなかった。

「心配にはおよびませぬ」ルカが静かに言った。「お嬢様は、今まさに真実を見つめているのでしょう。私たちにできることは、彼女の帰りを待つことだけです」

シルヴィアは歯噛みしながらも、ルカの言葉を信じるしかなかった。彼女は水晶に向かって祈るように呟いた。「どうか、無事でいてください…」


イリーナは、無限に広がる空間の中を漂っているようだった。周囲には星々が瞬き、まるで宇宙の中心にいるかのようだった。しかし、それは実際の宇宙とは違い、より幻想的で、意識そのものが形を成したような空間だった。

「ここは…」

「私の記憶の中…」
突然、柔らかな女性の声がイリーナの周りに響いた。それは優しくも悲しげな声で、まるで風の囁きのようだった。

イリーナの前方に、一人の女性の姿が現れ始めた。純白の衣をまとったその女性は、イリーナの夢に何度も現れた人物だった。彼女の肌は半透明で、まるで光そのものが形を取ったかのようだった。

「あなたが…私の夢に出てきた…」

女性は微笑んだ。「そう、私はセヴェラ。かつてこの世界を統合した者よ」

イリーナは息を呑んだ。彼女の目の前にいるのは、神話の中の神なのだ。

「なぜ私の夢に…?」

「あなたがシュヴァルツ・ノワールを宿すものだから」
セヴェラは静かに答えた。「私が最後に創造したもの。世界の融合と分離の鍵を握る存在よ」

「シュヴァルツ・ノワール…」イリーナはその言葉を噛み締めるように繰り返した。「それが私の中にあるの? 夢に現れる純白の女性と小川は…」

「そう。長き時を経て、あなたの魂に宿ったのよ。そして今、その力が目覚め始めている」

セヴェラの姿が揺らぎ、空間全体が変化し始めた。周囲に無数の映像が浮かび上がり、それらは過去の出来事を映し出しているようだった。

「私は世界を融合させた」セヴェラの声が続いた。「すべては平和のため、人々が争いを止めるためだったの。しかし、私の意図とは裏腹に、融合は新たな混沌をもたらしてしまった」

映像は融合の過程を示し、無数の世界が衝突し、融合していく様子を映し出していた。その中には喜びも悲しみも、そして恐怖も混在していた。

「私は遅すぎる気づきを得たの」セヴェラの声は痛みを含んでいた。「私自身が完全に善なる存在ではなかったこと。私の中にも、人々の持つ闇や恐れ、支配欲が反映されていたことを」

イリーナは映像の中に、セヴェラの姿がしだいに変化していく様子を見た。最初は光輝く存在だったセヴェラが、少しずつ闇を帯びていき、最後には光と闇が混在する複雑な存在へと変わっていった。

「私は自分の過ちに気づき、最後の力を振り絞ってシュヴァルツ・ノワールを創造した。それは私の全知全能と、宇宙に秘められた答えを宿した存在」

「そして…それが私に?」イリーナは自分の胸に手を当てた。

「長い時を経て、選ばれた魂に宿るよう設計したの。その魂は世界の未来を決める選択をすることになる」

セヴェラの表情が真剣になった。「この融合大陸を存続させるか、それとも再び宇宙の中へ分離させるか。その選択は、あなたに委ねられているのよ」

イリーナは圧倒的な責任の重さに、言葉を失った。彼女一人の選択が、この世界の未来を決めるというのだ。

「でも、なぜ私なの?」

「それは…」セヴェラの言葉が途切れた瞬間、空間全体が揺らぎ始めた。「何者かが干渉している…」

突然、空間の一部が破れ、そこから赤い光が侵入してきた。赤い装束の者たちが、このセヴェラの記憶の中にまで侵入しようとしていたのだ。

「彼らはシュヴァルツ・ノワールを奪いたがっている」セヴェラの声が緊迫感を帯びた。「あなたは今すぐここを離れなければならない。彼らはシュヴァルツ・ノワールの力を悪用するつもりよ」

「でも、まだわからないことがたくさん…」

「あなたの中にシュヴァルツ・ノワールが目覚めれば、すべてが明らかになる。今はただ、自分の直感を信じて。そして、この記憶を守るために、私が最後に告げる言葉を心に刻んで」

セヴェラはイリーナに近づき、彼女の額に触れた。「光は闇から生まれ、闇は光を映す鏡となる」

その言葉と共に、イリーナの体内に温かな光が広がった。そして次の瞬間、彼女は意識を失った。


「お嬢様!お嬢様!」
シルヴィアの必死の声が、イリーナの意識を現実へと引き戻した。

イリーナは水晶の前で倒れていた。彼女は目を開け、混乱しながらも立ち上がろうとした。

「どれくらい…時間が経ったの?」

「たった数分です」シルヴィアが答えた。「突然水晶から放り出されたように現れたんです」

ルカが静かに尋ねた。「何を見たのですか?」

イリーナは深く息を吸い、セヴェラとの対話を思い出した。「私は…セヴェラに会ったわ。そして、シュヴァルツ・ノワールが何なのかを知った。あの夢に現れる小川と純白の女性…すべてセヴェラからのメッセージだったのね」

彼女が説明しようとした瞬間、セヴェラの間全体が震動し始めた。天井から小さな破片が落ち始め、水晶のある台座も揺れていた。

「赤い装束の者たちが、上層から攻撃を仕掛けているようですね」ルカが冷静に指摘した。

「ここから出ないと」シルヴィアは周囲を見回した。「出口はどこに?」

そのとき、イリーナの胸に温かさが広がった。それはまるで、内側から光が溢れ出るような感覚だった。

「この力は…」

イリーナの両手から銀色の光が放たれ始めた。それはシュヴァルツ・ノワールの力の一部が目覚めた証だった。彼女はその力に導かれるように、水晶の基部にある小さな扉を見つけた。

「あそこよ!」

三人は急いでその扉へと向かった。扉の前でイリーナが手をかざすと、扉は光を放ちながら開いた。その先には長い階段が続いていた。

「早く!」シルヴィアが先頭に立ち、イリーナを守るように位置した。

三人が階段を駆け下りていく中、上からの震動はさらに強くなっていった。階段の終わりには、古代の脱出用通路があり、それは羅生門の外部へと続いていた。

通路を抜け、彼らはようやく外の世界に出た。羅生門の外壁に近い場所で、三人は立ち止まり、息を整えた。

「私たちは羅生門の西側に出たようですね」シルヴィアが周囲を確認した。「ミルゼット500は東の着陸場にありますが…」

羅生門の上層部からは爆発音が聞こえ、赤い光が夜空を照らしていた。赤い装束の者たちの攻撃は、記録保全拠点に深刻なダメージを与えているようだった。

「案内してくれた女性が心配だわ」イリーナが羅生門を見上げながら言った。

「イリーナ」ルカが珍しく敬称を省き、真剣な口調で言った。「あなたが見たものを教えてください。セヴェラの間で何が」

イリーナはルカとシルヴィアに向き合い、セヴェラとの対話の内容を簡潔に説明した。シュヴァルツ・ノワールの正体、そして彼女に課せられた選択について。

「それは…重大な責任ですね」シルヴィアの声には心配が滲んでいた。

「そうね」イリーナは微かに微笑んだ。「でもね、今はまだ選択の時ではないの。セヴェラは言ったわ、『あなたの中にシュヴァルツ・ノワールが目覚めれば、すべてが明らかになる』って」

「そして、再誕の灯はそのシュヴァルツ・ノワールを狙っている」ルカが続けた。「彼らは融合大陸を分離させるために、あなたを狙っているというわけですね」

「彼らは宗教的な信念から行動している」イリーナが静かに言った。「彼らにとっては、世界を元に戻すことが正しい道なのよ。だから彼らは完全な悪ではない…ただ、私とは違う答えを求めているだけ」

「それでも、お嬢様の身の安全が最優先です」シルヴィアは剣を握りしめた。

イリーナは頷いた。「これからより危険になるかもしれないわ。でも、私はこの旅を続けなければならない。真実を知るために。そして、セントラルボルトを探さなくては。その場所こそが、私の夢の謎と銀の刺繍の本の秘密を解き明かす鍵なのよ」

「セントラルボルトですか…」ルカは遠くを見つめるように言った。「そこには羅生門よりも古く、さらに深い秘密が眠っている。シュヴァルツ・ノワールの真の力とセヴェラの意図を知るためには、そこを目指す必要があるかもしれませんね」

遠くから機械音が聞こえてきた。それは再誕の灯の乗り物の音だった。彼らは羅生門の周囲を捜索し始めていた。

「とにかく、ここから離れましょう」シルヴィアが提案した。「別のルートでミルゼット500に戻るべきです。そして、セントラルボルトへの手がかりを探しましょう」

三人は夜の闇に紛れるように、羅生門から離れていった。イリーナの胸の中では、シュヴァルツ・ノワールの力が微かに脈打ち、これからの旅路を照らす光となっていた。

彼女はセヴェラの最後の言葉を思い出した。
「光は闇から生まれ、闇は光を映す鏡となる」

その謎めいた言葉の意味を探るために、そしてセントラルボルトの秘密を解き明かすために、イリーナたちの旅は続いていく。